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2012/03/08 (Thu)
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1066年といえば、英国史上最大のターニングポイントとしてよく知られている。これは、このブログでも既に話題にしたノルマン征服のあった年で、これを境にイギリスはフランスの言語・文化に極めて大きな影響を受けるようになった。
 
これに対し、チャネル・アイランズの歴史におけるターニングポイントとして知られているのは1204年である。この年に何があったのか、また、なぜこの年がチャネル・アイランズにとってのターニングポイントとなったのかが今回の話題。1204年の出来事は、英語の歴史と関連しても重要なので、この問題についても少しだけ触れる。
 
前回、Dieu et mon droit という英国王の紋章に付されたモットーと関連して見たように、12世紀末の英国王リチャード1世は、フランス王フェリペ2世と対立し戦争状態となった。その戦争の最中の1199年に、リチャード1世は矢に当たったのが原因で亡くなった。
 
リチャード1世が亡くなると、彼の弟ジョンと、甥のアーサーとの間で後継争いが起きた。リチャード1世の領有地のうち、イングランド、ノルマンディ、アキテーヌはジョンを支持し、ブルターニュ、アンジュー、メーヌはアーサーを支持し、互いに相争うようになった。
 
一方、1200年にジョンは、あるフランス貴族が既に婚約していた女性と結婚した上、賠償金の支払いにも応じようとしなかったため、この貴族に訴えられ、フランス王フェリペ2世のもとに出頭するよう命じられたが、これにも応じなかった。
 
そこで、フェリペ2世は1202年に、ジョンが封建領主の義務を怠ったと宣言し、後継争いでジョンと対立するアーサーを支持してノルマンディに攻め入った。フェリペ2世は、ジョンの結婚に由来する争いや、上記の後継争いを利用して、イングランド(プランタジネット)系の勢力をフランスから一掃しようと考えたのである。
 
この戦いの末、1204年の夏までに、ジョンはノルマンディ全土を失った。ノルマン征服以降、イングランドの王侯貴族はフランス貴族でもあり、フランスにも土地を持ち、フランス語を話していた。その意味で、支配者階級にとっては、イングランドもフランスも「自国」であったと言える。
 
1204年は、このような状況が一変した年である。イングランド王の支配地は(この後何百年もの間フランスに対する支配権を主張し続けたものの)、事実上、イングランドのみとなり、それまでは曖昧であったフランスとの「国境」がよりはっきりとしてきたと言える。
 
チャネル・アイランズも、この時代までにはノルマンディの一部となっていたので、1204年にはフランス側の手に落ちた。しかし、ジョン王はこれを奪還することを命じ、1205年までには、チャネル・アイランズの支配者階級は再び英国王に忠誠を誓うようになった。こうして、チャネル・アイランズはノルマンディから切り離され、英国王が所有する領土となったのである。
 
1204年までに、英国王はフランス国内の領土を事実上失ったが、その際、かろうじて手元に残ったのがチャネル・アイランズだったということである。ジョン王が奪還を命じなければ、1204年以来現在まで、チャネル・アイランズはノルマンディの一部としてフランスに属していたはずで、そういう意味で、1204年という年は、チャネル・アイランズの歴史にとって非常に重要な年であったと言える。
 
さて、上記のように、1204年を境に、フランスとの「国境」がはっきりし始め、イギリスの王侯貴族が住む場所がイギリスに限定されるようになると、言葉に関しても、彼らの英国化が徐々に進むようになる。これ以前まで、上層階級の人々は、フランス語を話すフランス人で、恐らくほとんどの人は英語には興味も示さなかった。しかし、フランスと切り離されたことにより状況は変わり、時間の経過とともに、徐々に上層階級の人も、イングランドに住む圧倒的大多数である庶民が使う英語を学ぶようになって行ったようである。
 
そのため、1204年前後から、英語にはフランス語借用語が急激に流入してきている。これは恐らく、英語に不慣れなフランス語話者が、フランス語交じりの英語を話し始めたことと関係している。フランス語交じりの英語は、イギリス人にとっては上層階級の高貴な話し方と感じられたようで、貴人気取りでフランス語交じりの言葉遣いを真似する者が多く出たそうで、そうやって少しずつフランス語の単語が英語に入るようになっていったのである(詳しくは、拙著『多民族の国イギリス』、181-189ページ、および、『英語のルーツ』、21-24ページを参照)。
 
イングランドではやがて王侯貴族まで全て英語話者となり、フランス語は使われなくなったが、一方、チャネル・アイランズでは、その後もフランス語が生き残り、現在でも英語と並行してフランス語の方言を使っている人もおり、ノルマンディの一部だった時代の名残を現在まで留めている。

写真は、島の守りを固めるため、1204年に建設の始まった、ジャージー島のGorey Castle。
 
 
 
 
 
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