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イギリスの歴史や文化と関連することをいろいろと書いていきます。
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2012/02/24 (Fri)
Elizabeth_Coat_of_Arms.png

紋章にはよくその人の(あるいはその家に伝わる)モットーが付けられている。英国王の紋章にも、Dieu et mon droit「神と我が権利」という言葉が付けられている。このモットーはいつ頃、どのような経緯で用いられ始めたものなのか。また、どのような意味を持つものなのだろうか。それにそもそも、英国王のモットーなのに、なぜフランス語なのだろうか。
 
なぜフランス語なのか、という問題については、拙著『多民族の国イギリス』の終章の終わり近く(247ページ)に、この本を読んだ人には何となく答えが分かるだろうというようなことだけ書いて、詳しいことは書かなかったので、そのことも含め、今回はこのモットーについて少し紹介したい。
 
Dieu et mon droit 「神と我が権利」という言葉は、フランス王フェリペ2世と争う英国王リチャード1世の手紙の中で使われたのが記録としては最初のようだ。リチャード1世は、英国王でありなおかつノルマンディ公爵、アキテーヌ公爵などとして、フランスにおいてはフェリペ2世に忠誠を誓った貴族でもあった。
 
この二人は、共に十字軍遠征に出掛けたりもしており、ある時までは良好な間柄だった。それもあり、リチャード1世はフェリペ2世の妹と結婚することになっていた。しかし、彼の気が変わり、ナバラ王サンチョ6世の娘と結婚すると言いだしたことでフェリペ2世との関係が悪化した。さらに、リチャード1世は、昔からの取り決めに背き、フランス国内の自分の領土内において、城を建ててはならないとされていた場所に城を建てたりもした。これらをあからさまな反逆行為とみたフェリペ2世は、リチャードの領有地ノルマンディに進軍し、これを攻め取ろうとしたが、返り討ちに遭ってしまう。戦場から敗走するフェリペ2世は、浮足立っており、落馬して川の中に落ちすらしたらしい。
 
これを遠くから眺めていたリチャード1世は、勝利の様子を伝える手紙の中で、自分達は戦いに勝利したが、このような結果をもたらしたのは自分たち自身ではなく、「神と我が権利」である、と書いている。つまり、この戦いは神の目から見ても、また自分達の権利という観点からも、正統なもので、正義が勝つべくして勝ったのだということである。この手紙で使われた「神と我が権利」という言葉は、これ以前から、リチャード1世が戦に際し気勢をあげる時に叫ぶ言葉としていたとも言われているが、いずれにしろ、これがやがて英国王のモットーとなった言葉の起源である。
 
ここまでくれば、なぜフランス語なのか、という問題はほとんど解けたも同然。上記のように、リチャード1世は、英国王であると同時に、ノルマンディ、アキテーヌ、アンジュー、ガスコーニュなどを治めるフランス貴族でもあった。しかも、英国王とはいえ、彼の本拠地はフランスの方であり、約10年の在位期間中、英国に来たのは2回だけ、合計で約7か月滞在しただけだった。
 
そのようなことからも分かるように、彼の母国語はフランス語で、英語は出来なかった。上記の手紙もフランス語で書かれたものであっただろう(ただし、原文はなかなか見つけることが出来ず未見)。このモットーは、英国の王侯貴族がまだフランス語を話す「フランス人」だった時代に起源があるのでフランス語、というわけである。
 
なお、モットーの起源はここに書いたとおりだが、これを英国王のモットーとする伝統は、ヘンリー6世の時代に始まったと言われている。ヘンリー6世とこのモットーのことについて書くとまた長くなりそうなので、これについてはまた別の機会に。
 
英国王がフランス語話者で、英語を解さないというのは、1066年のノルマン征服に始まることで、リチャード1世が王位にあった12世紀末にも同様の状態が続いていた。ノルマン征服以降の王で、英語を母国語とする最初の王と言われるヘンリー4世が即位したのは1399年であり、これは、リチャード1世が亡くなってから丁度200年後のことである。14世紀後半になるまで、イギリスにおける公式な言語はフランス語やラテン語で、英語は庶民の間で使われる話し言葉にすぎなかったのである。
 
イングランドにおいては、14世紀後半以降、英語が再び力を持ち始め、同世紀末には国のトップである王に至るまで皆英語話者となった。その意味で、ノルマン征服後、フランス語に取って代わられた英語が再び社会的地位を回復し始めるまでには、約300年かかったと言える。ただし、300年経って初めて徐々に(話し言葉としての)英語の地位が向上し始めたというだけで、例えば、公式な文書などで用いられる書き言葉としては、この後もフランス語やラテン語が長く使い続けられた。
 
前回まで話題にしたジャージー島をはじめとするチャネル・アイランズでは今でもフランス語が使い続けられており、その意味で、ノルマン征服に始まるフランス語の影響は、現代にまで及んでいると言える。今回の話は、ジャージー島と英国との歴史的関係や、ジャージー島における言語の問題とも密接に関わるところがあるので、次回は、今回の話の延長線上で、そういう問題を扱う予定。










 
 
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