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2012/03/27 (Tue)
Schleswig.jpg
 


現代のイギリスやアメリカの基礎を築いたのはアングロ・サクソン人であるとされる。アメリカの「アングロ・サクソン人」が、17世紀以降イギリスから渡った人々であるということは言うまでもない。それでは、イギリスの「アングロ・サクソン人」はどこから来たのであろうか? 今回のテーマは、アングロ・サクソン人の原住地について。
 
アングロ・サクソン人というのは、5世紀中頃以降ブリテン島に侵入し、イングランドの基礎を築いたゲルマン系のアングル人、サクソン人、ジュート人などのことを言う。アングロ・サクソンという言葉それ自体は、本来は「イングランドのサクソン人」の意だが、これが上記の時代にイングランドに渡ったゲルマン系の人々一般を表す言葉になったのである(詳しくは、拙著『多民族の国イギリス』、pp. 35-47を参照)。
 
アングロ・サクソン人は、大まかに言えばユトランド半島やドイツ北部付近からブリテン島に渡って来た。したがって、これがアングロ・サクソン人の原住地と言えるが、特にアングル人については、伝統的に、もっとずっと限定的な原住地が知られている。
 
ユトランド半島の根元近く、デンマーク最南部より少し南、ドイツ最北部にアンゲルン(Angeln)という半島がある。ここがアングル人の原住地として知られており、Angelnという地名にその痕跡が残っていると考えられている。イングランドはもともと「アングル人の土地」という意味であるから、AngelnとEnglandとは、その前半要素が同語源だということになる。事実、アンゲルンもイングランドも、これに対応するラテン語名はAngliaで同じである。
 
アングル人の原住地としてのアンゲルンは、731年頃にビード(Bede, c. 673-735)によって書かれた『英国民教会史』の中に、以下のように言及されている。
 
「アングル人からは、つまり、ジュート人とサクソン人の住む地域の間に位置し、今日まで住む人がいないと言われているアングルスとして知られる国からは、東および中央アングリアの人々、マーシアの人々、ノーサンブリアの全ての人々、つまり、ハンバー川より北に住む人々、それにその他のイングランド人が派生した。」(『英国民教会史』1巻15章)
 
アルフレッド大王(Alfred the Great, 在位 871-899)の命令の下、9世紀末に編纂された『アングロ・サクソン年代記』の449年の欄には、アングロ・サクソン人のブリテン島侵入のことが記録されているが、そこでもこれと大体同趣旨のことが述べられている。
 
一方、10世紀末に『アングロ・サクソン年代記』のラテン語訳を中心として書かれたエゼルウェアルド(Æthelweard, d. c. 998) による『年代記』には、さらに詳しく以下のように述べられている(なお、ここに言及したアングロ・サクソン時代の文献やその著者については、拙著『アングロ・サクソン文学史:散文編』、pp. 51-67, 77, 121-47を参照)。
 
「アングル人の原住地はサクソン人とジュート人(の住む土地)の間に位置し、サクソン語ではスレスウィック、デーン人にはハイタビーとして知られる町を首都としている」(エゼルウェアルド『年代記』1巻4章)
 
ここで言及される「スレスウィック」というのは、アンゲルン半島の南端に位置する現在のシュレスビッヒ(Schleswig)のことである。また、「ハイタビー」という地名も、ハイタブー(Haithabu)あるいはヘーズビー(Hedeby) として現在まで残っている。
 
エゼルウェアルドが書き残したことは、後の時代の有力な英国史家達にも引用されている。例えば、16世紀末から17世紀初めにかけて活躍し、後の時代に書かれた英国史にも大きな影響を及ぼしたウィリアム・カムデン(William Camden, 1551-1623)の Britannia にも、アングル人の現住地について以下のように述べられている(以下は、1610年英訳版からの引用)

Now seeing that between Iuitland and Holsatia the ancient countrey of the Saxons, there is a little Province in the Kingdome of Dania, named at this day Angel, beneath the citie Flemsburg, which Lindebergius in his Epistles calleth Little Anglia: I dare affirme, that now at length, I have found the place of our Ancestors habitation, and that from thence the Angles came into this Iland. And to averre this the more confidently, I have good warrant from teh authoritie of that ancient writer Ethelwardus, whose words be these: Old Anglia is sited between the Saxons & the Giots: they have a capitall towne, which (in the Saxon tongue) is named Sleswic: but the Danes call it Haithby. (pp. 130-31)

 
(なお、この引用文の中でアンゲルンを指すものとして言及される Little Anglia という名称は、2つの Anglia を「大」「小」で区別するもので、Great Britain と Little Britain の場合と同じ感覚に基づくものである。)
 
ジョン・スピード(John Speed, 1542-1629)の The Historie of Great Britaine にも、エゼルウェアルドに基づく、以下のような記述がある(以下は1632年の第3版からの引用)。
 
The Angles (by Fabius Qaestor Ethelwardus, an ancient Writer, and a Noble Person of the Saoxns Royall Bloud; are brought from Old Anglia, a Portion lying betwixt the Countries of the Saxons & the Giots, as he writeth them, whose chiefe Towne was by them called Sleswick, and of the Danes, Haithby: but (more particularly) it lay betwixt the city Flemsburge and the Riuer Sly, which Country by Albertus Cranzius is called Anglia. (p. 199)
 
このように、アングル人の現住地は、伝統的に、ドイツ最北部のアンゲルン半島とされ、中でも特に、シュレスビッヒや、そこからタクシーで15分程度のところにあるハイタブーはその中心都市であったとされてきた。
 
実際にこれらの地に行ってみると、アングロ・サクソンやヴァイキングなど、ゲルマン系民族の歴史や文化に興味のある人には、非常に興味深いものが多く保存されているのであるが、大分長くなったので、そういう話はまた次回に。

写真はシュレスビッヒの遠景。
 
 
 
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